2010年1月の井上力

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1月28日(木) 闘病観察・22
1月27日(水) 公契約条例、野田市につづこう
1月26日(火) 平和のうちに生きる権利
1月2日(土) 迎春
   

2010年1月28日(木)の井上力
闘病観察・22

実に約2年ぶりの「闘病観察」となりました。'07年9月の骨折から何もなかったことの証明です。3月で91歳を迎え、車イス生活も丸6年となります。

パソコンで手紙を書いたり(半生記はとまっているようです)、訪ねていただくご近所の方々や、1歳半のひ孫や、派遣会社で解雇をのがれたものの横浜住まいをする孫娘を楽しみにしています。一昨年7月、生まれたばかりのひ孫(私にとっては孫)を明石の病院の新生児室へ行って見たとき、居合わせた全員が確信したのは「この子の方が早く歩けるようになるだろう」という平凡な「生成・発展・没落」の法則でした。居合わせた者のなかに科学者は一人もいませんでしたが、この予測は見事にあたりました。

母のバビンスキー反射のことについては、書いたことがありません。主治医の谷口先生(ろっこう医療生協)も、理学療法士の中村先生(あらたか)も「たしかな治療法はない」とおっしゃいます。右足のかかとが床に着くとつま先が跳ね上がるような状態となって、歩けないのです。手すりにつかまって立つ動作を理学療法士の先生から指示された回数と時間、根気よく続けています。

脳梗塞の後遺症は「3年が勝負」と言われますが、手足の機能回復は今も進行中です。針に糸を通してパジャマのボタンをつけたそうです。「えらい付け方やけど」嬉しそうです。6年たっても機能は緩やかに回復しています。91年間それぞれ孤立していたシナプスがネットワークを形成しているのだそうです。ネットワークをつくる際のお手本が6年も前になくなっているので、母が体を動かす・・・動かそうとすることによって試行錯誤で細胞同士がシナプスを介してつながり、意思を伝達できるようになるという気の遠くなるような作業です。

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2010年1月27日(水)の井上力
公契約条例、野田市につづこう

21日に尼崎商工会議所で、公契約条例を制定した根本崇・野田市長を迎えて「公契約条例の学習会」がありました。県建設労連や自治労、あるいは地方議員など160人の参加でした。主催したのは一昨年、尼崎で同条例を議員提案したときの4人の提案議員。

 写真:つづき議員提供 (21日尼崎商工会議所701号で)

きのうは新社会党の地方議員団学習会があり、尼崎条例提案者の一人、都築徳昭(つづき のりあき)・尼崎市議と長南博邦(おさなみ ひろくに)・野田市議の報告がありました。

同条例の解説を野田市が作成しています。また市長講演のレジュメは内容豊かです。昨年11月24日の地方自治総合研究所のシンポジウムは大きなうねりを起こしました。資料・レジュメが 提供されています。

公契約条例と言えば全建総連ですが、野田の条例は全国初と言うだけでなく、二省協定・設計労務単価(の8割)を基準に、現場で働く労働者の最低賃金を決めたものです。「安かろう悪かろう」になだれをうつ落札者が支払う賃金の下落に歯止めをかけようとするものです。根本崇・野田市長が、友人の大工さんの例をあげ、また全建総連の要求に触れて語る「大工の息子を大工にしたくないという労賃の激減を止め、技術を継承する」ということ。実態は切実で、意義は大です。もちろん、委託契約 (人件費比率の大きいもの)では官製ワーキングプアをつくらないという意味も。またデフレの克服、脱却という点でも大きな意味を持っています。

全建総連(身近なところでは神戸土建と兵庫土建ですが)の30年来の運動、そして尼崎市役所で武庫川ユニオンがたたかった女性5人の無期限スト、自治労の臨時職員を包む運動、・・・条例制定は運動前進の合図です。

実はそれらの受け売りで私もパワーポイントで何回か話しをしたのですが、 公契約法をつくる自治体での意見書可決(全建総連のまとめで771自治体議会)があり、「少し時間がたった」(神戸市助役の答弁)から、「国が動き、あるいは動向を見て」いては、賃金は下落の一途です。しびれを切らせて条例制定へと歩み始めた流れを止めてはなりません。

旧政権がILO94号条約を批准しなかった60年の歳月を民主党政権には取り戻す責務があります。一方、「民主党の議員立法禁止令で民主党案はどうなるか?」(根本市長)ということもあり、今後、都道府県で基本条例、市町で請負契約と委託契約のそれぞれ、最低賃金と監視・罰則規定の条例が実現できるよう、運動を加速する責任が私たちにあります。尼崎での条例制定運動と野田の条例制定に続きましょう。

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2010年1月26日(火)の井上力
平和のうちに生きる権利

応援に行きたかった名護市長選挙は、見事な結果でした。日曜日の朝刊で「接戦で大勢判明は午前0時ごろ」と報じられていました。会議中に委員長がケータイで速報をのぞき、みんなに紹介してくれました。日頃の疲れが一瞬に吹き飛ぶ朗報でした。

時刻は午後8時40分でした。期日前投票と不在者投票が投票者の4割を占めたそうです。出口調査は期日前投票でも行われていたのか、と。いや'97年の市民投票以後だけでも12年を越える議論、1票の重みとはまさにこのことを言うのでしょう。「私は反対→賛成→反対と変わってきた」とか「ぜんぜん北部は振興してない」など、意見がくっきりと鮮明なのです。

私は街頭でマイクを一文字訂正27日握るとき、基地依存経済から脱却しようとする沖縄の歩みを紹介しています。その際2つのことを例をあげて。「深夜1時にヘリコプターの轟音で目を覚ました子どもを寝かしつける若いお母さんの困り果てる姿」「(岡田大臣が参加した民主党の集会に親子三人でかけつけたTさんが語った)仕事を干されて遠くへ仕事に行ってるけど、この子にも基地反対は継がせる。生きるためにと、語った」です。

まさに「平和のうちに生きる権利」の1票、1票が、名護市長選挙の結果です。

官房長官が「(投票結果を)斟酌せず」と語ったのと対称に、キャンベル国務次官補が「新たな事態だ」と語ったようです。2月1日に来日します。

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2010年1月2日(土)の井上力
迎春

「摩耶山で初日の出を見ようと登ったが、寒かった」・・・ロンドンから里帰りの女性を始め3人が私のつくったお雑煮をおいしそうに食べてくれました。若者の健康的な新年の迎え方に接して、いいお正月でした。

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