2010年10月の井上力

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10月26日(火) ウロコが何枚も
10月19日(火) 目からウロコが始まってます
10月18日(月) 病院の図書館・情報室・図書室
10月12日(火) なぜ証拠隠滅か
10月8日(金) 闘病観察・26
10月7日(木) JRが新駅「まや」
10月4日(月) 目からウロコの学習会
   

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2010年10月26日(火)の井上力
ウロコが何枚も

「目からウロコの学習会」きのうは3回目で、高齢者の住宅問題について介護保険10年の総括をテーマに、日本福祉大の児玉先生に来ていただきました。私の目には一体何枚のウロコが貼り付いているのやら・・・。

講演で「寝たきり高齢者専用住宅」が紹介されたとき、(一番前にいた私は)後ろを振り返ったのですが、会場まさに凍りつきました。愛知県と岐阜県だけだそうですが、ネットで調べてみると児玉先生が指摘されていたとおり。鹿倉・前文京区議や愛知県東郷町の山下りつこ町議などがブログで。中日新聞は一面トップも含めて何度も記事に。

寝たきりと経管栄養、または胃瘻(いろう)が入居の条件で、食事は出さない、食事ができないことを維持することが条件。もちろん医療法人や社会福祉法人にこんな非人道的なことが許されるはずもなく、経営はコンサル会社だそうです。医師が特別指示書を出し、請求の8割が健康保険と介護保険から支出されているそうです。

食事をさせない施設ってナンダ?「病院でも施設でもない、住宅だ」

病院が食道に穴を開けて退院させるのが悪い。退院させなければならないような保険制度にした国が悪い。要介護度が軽くなるようなケアをすれば収入が減る介護保険制度が悪い。家で看ない家族が悪い。家族のいない人生が悪い。関西では生活保護受給者の囲い込みビジネス。

「退居」して「にんげん」を取り戻せた方もあるようです。シンポジウムが開かれてから1年、なんと「目のウロコ」を取らずに過ごしたことか。学習会の後の反省会は、まさに反省反省でした。ろっこう医療生協が取り組む小規模多機能には、期待が集まります。

*** * ***

きょうはたしか「原子力の日」です。カレンダーのちょうど反対になる4月26日がチェルノブイリなのは皮肉です。けさの新聞には日印原子力協定の記事が。

『週刊金曜日』に上関原発についてのアピールが掲載されていました。

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2010年10月19日(火)の井上力
目からウロコが始まってます

先週と先々週、1回目は中田作成先生、2回目は里見賢治先生を講師に「目からウロコの学習会」が始まっています。 次回は25日(月)児玉善郎先生です。会場はいつも六甲道勤労市民センター・E会議室。なお「目からウロコ」という表現は、日本語としては正しくないそうです。「目からうろこが落ちる」が慣用語であることは知っていても、誤用がだんだん一般的となり、私のように「目からウロコに来てください」なんて言うと、さっぱりです。「目からウロコが始まってます」も同様。

昨夜の学習会、まさに「目からウロコ」でした! 赤松さんが言われていたように、続きを聞ける機会があるとよいですね。次回も医療生協が今取り組んでいる課題ですよね。24日がナナゲイで、連夜の外出になりますが、とても楽しみにしています。

とメールをいただきました。赤松さんとは後援会長の赤松徳治さんで、「24日のナナゲイ」は「第七藝術劇場」(大阪・十三)で今井一さんが伊藤塾の伊藤真さんを招いてトークバトル(?)をおこなう企画のことです。

 

↓ (第1回)講師は中田作成さん 10月9日(土)

 
↓ (第2回)講師は里見賢治さん 10月16日(土)
 
 
 

 

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2010年10月18日(月)の井上力
病院の図書館・情報室・図書室

また、がんについて考える機会がありました。

Yさんは肺がんの闘病1年半です。しみじみと、いや生き生きと「人生に悔いはない。エエ人生やった」と。病床でではなく、仲間と出かけた淡路島のサービスエリアで。「S病院開院以来もっとも元気ながん患者」と主治医が言っているそうで、仕事こそ休んでいますが、他は「飲む」ことなど発病以前と同様、元気いっぱいです。

先週、『私のがん患者術』(岩波ブックレット569)の井上平三さん('02年4月没)のご家族とお会いする機会がありました。遺言の「病院に患者情報室」を実現されたご家族です。国立病院機構・大阪医療センターの患者情報室は、NPOによって運営されており、患者交流会やセミナーなども行われているそうです。

ネットで「病院/図書館/情報室」で検索すると「病院図書室」を列記したサイトが目に止まりました。これらは、入院患者がくつろぐため、貸しテレビを見ることと同じように時間を過ごす「本の置いてある部屋」ではありません。大阪医療センターの患者情報室の充実は一番のようです。いちど見学したいと思いました。

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2010年10月12日(火)の井上力
なぜ証拠隠滅か

大阪地検の主任検事によるフロッピーディスク書き換え事件は、前田元検事の起訴という局面を迎えました。不思議なのはこの罪状が「証拠隠滅」であることです。第104条(証拠隠滅等)他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する

証拠隠滅ではなく、職権濫用だという指摘が当たっていると思います。なぜ証拠隠滅なのか、なぜ職権濫用ではないのか、不思議で仕方ありません。

世界でただ一人、市議会招集権限を持つ市長が市議会を招集せずにどんどん専決処分でことを運んでしまった阿久根市でも、竹原市長は職権濫用罪で被疑者となることはありませんでした。

公務員の責務・使命について、その時代時代の人々が共有する認識(本来の意味のイデオロギー)が劣化しているように思えます。市会議員という特別公務員の時代を過ごしたことのある私も、その劣化を止め、人権と民主主義の再生のために有効な働きができていないという意味で、反省です。

別の表現をすれば、憲法と法体系の間に重大なズレが生じています。

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2010年10月8日(金)の井上力
闘病観察・26

姉が「さいたま」から3日間来てくれていました。団地の専用庭(と言えばカッコが良すぎます)の手入れ(要するに草抜きです)は、姉の仕事のようになっています。

母が脳梗塞で倒れて6年半、介護保険や後期高齢者医療制度の「給付を受け」ていますので「不明高齢者」を役所が調査する対象者とならない91歳です。「給付を受ける」前に保険料が天引きされているのですが、なぜかそれは役所の説明にはでてきません。本人の意思を確認せずに保険料を徴収する、つまり天引きされています。行方不明の人が保険料を払う意思を示せるはずがないのです。「不正受給」の前に「不正徴収」をしている可能性があるのです。母は戸籍を三重県津市に置いたままですが、神戸市から転入届がかつて届いているので、そちらの方から調査しても「行方不明」にはなりません。外国でのできごとを新聞は「熱波が○○を襲い、死者が出た」と報じますが、今年の日本は熱中症でした。

母はこの夏、お茶を飲んでも飲んでもトイレに行く回数が減って、腎臓の機能が弱ったのでしょう、足にむくみがでました。これは初めてではなく、とにかく難儀でもトイレにせっせと行くこと、またそのためにお茶を飲むこと、夜寝るときに足の下に座布団を敷き、少し足をあげて寝ることが症状緩和のカギです。

実はこの夏初めて「床ずれ」ができました。六甲道診療所の谷口先生に診てもらい、塗り薬と貼り薬を処方してもらって約ひと月、患部が拡大するのが止まってからが長く、がまん強いのにとても痛かったようです。デイケアでおこなう「自転車こぎ」は中断しました。ビーズが入れてあって風通しが良く、丸洗い可能な円座と、風呂の渡し板の上に置く空気入り座布団を妻が買ってきて、とても役立ちました。

「床ずれ」は、ずっと同じ姿勢でいるとできるもので、車イスに一日じゅう(この6年半、昼寝もせずにずっと)座っていたからです。母の床ずれを見て思い出したのですが、'82年に私が32歳で椎間板ヘルニアで27日間、入院したとき「床ずれができ始めている」と言われたことがありました。従って、寝たきり、高齢に特有の症状ではありません。マッサージをして血行をよくすること、何よりも立ったり座ったり、もちろん歩ければ最善の予防です。入院したりショートステイで直す方法もあります。学べば学ぶほど抑止力ではなく予防です。抑止力は高齢で弱ります。予防は年齢や症状にあわせて様々な手段があることを「ろっこう医療生協」は教えてくれます。

妻とも話して反省するのですが、この夏は湯船にお湯をはらずシャワーだけで過ごした時期がとても長かったのです。入浴を手伝う闘病観察者としてもシャワーだけの方が快適で、本人ももちろん了解済みのことではありました。痛がるとさらにシャワーをかける時間も短くなり悪循環です。血行をよくする効果は、湯船につかるのとシャワーだけとでは全く異なります。また清潔を保つうえでも湯船に入る方がシャワーよりはるかにベターです。加えて母もあまりの暑さに手すりにつかまって立つ訓練の回数や時間も短かったのだと思います。

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2010年10月7日(木)の井上力
JRが新駅「まや」

「JRが新駅」・・・灘区にJRの3つめの駅ができる!

灘区を列車がはじめて走ったのは1874年です。灘貨物駅は1910年(後の東灘貨物駅)。今年は灘区に「駅」ができて100周年だったのです。その開業の日は10月1日。灘駅(旧列車駅)は1917年、六甲道駅(旧電車駅)は1934年。新駅「まや」駅の完成が2016年なら、灘駅ができて99年後の新駅ということになります。

阪神電車は1905年開通で、当初は新在家駅、大石駅、岩屋駅ができ、西灘駅は国道電車が走った1927年。もっともこの頃の阪神は高架になる前で、今の場所より南にあり多くが細長い公園として線路敷の跡をとどめています。

阪急電鉄は六甲駅が開通の1920年、王子公園駅(当初は西灘駅)は1936年。旧・西灘駅が遅いのは阪急の終点が上筒井にあったからです。(以上、事務所に来られた古老からの聞き取りとウィキペディアより)

「灘」に限定して述べましたが、灘の神戸市への編入は1929年。

因みに摩耶ケーブルは1925年。六甲ケーブルは1932年。

新駅の位置は灘駅の東900メートル。三ノ宮・元町間は800メートルです。最近の新駅建設は乗降客をどうさばくかという観点からではなく、まや駅の場合も730戸の分譲住宅をJRの持っている土地に建てて販売する際に、「灘駅から10分」より「駅なか住宅」の方が販売価格を高く設定できるということのようです。

当局との間で法令上の事前協議はなく、これからか。商業施設がどうなるのか、南北交通はどうするのか、なども。旧東灘貨物駅跡の「遊休地」は相当広く、全体計画をまず提示することが必要だと思います。

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2010年10月4日(月)の井上力
目からウロコの学習会

後援会が『目からウロコの学習会』と名づけて連続講座を準備してくれました。

 

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