| 2011年8月の井上力 |
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日付 |
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| 8月30日(火) | 原発情報はなぜ「晩発」? |
| 8月29日(月) | 再稼働内閣なのか |
| 8月25日(木) | 十年は住めぬと首相やはり言い |
| 8月23日(火) | ありがとうございました赤松徳治さん |
| 8月22日(月) | 赤松徳治さん「お別れの会」は27日 |
| 8月4日(木) | 核兵器と核発電廃棄のための憲法 |
2011年8月30日(火)の井上力
原発情報はなぜ「晩発」?
文科省がようやく、土壌汚染を含む放射能汚染の深刻な実態を公表し始めました。メルトダウンも食品への影響も、子どもたちの内部被曝も、そしてモニタリングの実施とその結果公表も、すべて「晩発」でした。きのうの合同記者会見は4時間を超えました。
けさ11時からの東電記者会見では「急性」白血病で命を落とした作業員=労働者が、福島第一原発で出たと、ちょうど2週間もたって明らかにしました。明らかにしたのは死亡という事実だけで、その原因や亡くなった人と遺族の疑問や悔しさについては隠蔽されました。16日に東電は元請け企業から死亡の報告を受けたこと、8月上旬の1週間、この作業員は東電で「ドアの開閉や放射線管理業務(放管)の仕事をしていた」こと、死亡診断書には「東電福島での仕事が原因ではない」と書かれている(?)こと、プライバシー保護のため、これ以上の調査を東電はしないこと、東電福島へ入る前にはヘマトクリット値などの検診に異常はなかったことなどが答弁されました。記者会見は2時間。NHKはじめ、記者が到底納得していない様子なので、いずれ報道量が増えるでしょう。(以上、ニコニコ動画より)
きのうは3人の作業員がβ(ベータ)線を「想定外の被曝」という東電の発表もありました。
このような事態は、政府と東電だけが想定外のことであり、報道機関も、そして人々が一貫して指摘し続けてきたことでした。
「放射能は動いている」・・・6月30日に六甲道勤労市民センターで「憲法を生かす会・灘」が行った講演会で神戸大学大学院の山内知也教授が強調されたことでした。8月9日にはMBSの『たね蒔きジャーナル』で、次のように指摘しておられます。山林から河川へとセシウムが下ってくる。首都圏の汚染についても「セシウム予報」が必要だ、と。情報は「晩発」でなく「予報」こそ。ちなみに東電も関電も「停電していました」と言わないために、「でんき予報」をだしています。
2011年8月29日(月)の井上力
再稼働内閣なのか
民主党新代表に野田佳彦氏が当選したと報じられました。
8月18日(木)の『なだ・平和のための木曜行動』に次のように書き、とりわけ、「次の首相と目される」という表現が、その後、大間違いだったように感じていましたが・・・。
そのビラには、次のように書きました。
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国難に救国政府。そのとおりです。人類史で3つも同時に原発が事故を起こしたことは初めてで、国難です。しかし、侵略者に対し武器を持って国民が立ち上がる救国政府を、という呼びかけは的外れです。 いま政府と行政がただちにしなければならないのは、被災地に元の住まいを、仕事を、雇用を、そして放射能測定をこまめにおこない、子どもを若い女性を、被ばくから救うことです。 政府がオフサイトセンターから避難したまま、避難準備区域を解除したり、住民を風評被害と言って一喝することではありません。 次の首相と目される野田佳彦財務大臣の放談が止まりません。 ●「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」(05年の質問趣意書)「考え方は基本的に変わりない」(15日の記者会見)●「(復興需要は)まさに千載一遇のチャンスだ」(14日のNHK討論)●「(原発)再稼動に向けて努力することが最善の策」(『文藝春秋』9月号)●「救国内閣を」(13日午前、『毎日』報道) 政府も、どの市もどの県も3月以降、原発震災の当事者です。被ばくから「民」をこそ救え。原発輸出に熱心な首相を国会は選ぶな。 |
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赤松徳治さん「お別れの会」は、詩の同人など多方面からご参加いただきました。何枚か写真を紹介します。
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司会は今村稔さん |
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関西マンドリン合奏団の追悼演奏 |
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遺族の挨拶 |
プログラムは以下のとおりでした。(敬称略)( )含め5字追加しました8月30日
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開会挨拶・司会 |
今村 稔 | 憲法を生かす会・灘 代表委員 | |
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実行委員長挨拶 |
佐治 孝典 | 近代日本思想史研究者 | |
| 弔電披露 | |||
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お別れのことば |
三宅 武 | 第三紀層('73) | |
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山本 幹夫 | 神戸文学館・館長 | |
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小寺山 康雄 |
友人 | ||
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松枝 佳宏 |
新社会党委員長 | ||
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家 正治 |
神戸外大名誉教授 | ||
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鳴海 妥 |
ろっこう医療生協前理事長 | ||
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お別れの演奏 |
関西マンドリン合奏団 /指揮 川口 優和 |
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| お別れのことば(つづき) |
飯井 教道 |
友人 てとらぽっと('63) | |
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原 和美 |
9プラス25改憲阻止市民の会 元神戸市議 | ||
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東 武次郎 |
友人 外大の4年後輩 | ||
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粟原 富夫 |
新社会党県本部委員長 神戸市議 | ||
| 各務 豊和 | 『輪』('58) | ||
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井上 力 |
県議選で赤松さんが後援会長 元神戸市議 | ||
| 吉田 俊弘 | 憲法を生かす会・灘 代表委員・事務局長 元県議 | ||
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「灯」「トロイカ」斉唱 |
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| 長男ごあいさつ | 赤松 竜 | 長男 | |
| 閉会挨拶 | 中田 作成 | 憲法を生かす会・灘 代表委員 ドイツ文学者 | |
| 2字削除しました8月30日 | |||
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赤松徳治さん お別れの会 実行委員会 三宅武 原和美 今村稔 吉田俊弘 上野恵司 三木平 金丸正樹 門永秀次 中村伸夫 井上力 小林るみ子 桝田伸次 赤松竜 (順不同) |
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2011年8月25日(木)の井上力
十年は住めぬと首相やはり言い
鶴彬(つる・あきら)全集を'77年にまとめた一叩人(いっこうじん)のことが、『世代を超えて語り合いたい戦争文学』('09年/岩波書店)に書かれています。最初はガリ版刷りの100部だったことなど、澤地久枝さんが佐高信さんに語っています。一叩人=命尾小太郎(めいお・こたろう)のことを婦人民主クラブ機関紙(『婦民新聞』)が'07年2月20日に書いています。
子どもの頃から8月も25日ともなれば「ああ、もっと早く勉強しておくべきだった」と反省し、やがて追い詰められれば何とかなるものと自信を持ち、そのうち勉強ぎらいを自慢するようになり、ついに・・・。
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木曜行動2めんに載せている「東電福島事故この1週間」のきょうまで3回分は、以下のとおりです。10年、20年という言葉が出たかどうかはともかく、真意として長く住めない地域があると菅直人首相と松本健一内閣官房参与が話したのは、4月13日でした。統一地方選挙の前半戦が終わったのは4月10日で、これからボロボロと「原発の真実」がリークされては否定され、またリークされては公表となる繰り返しです。メルトダウンしていました。「突撃」した作業員は行方不明です。食品が危ない。子どもが被ばくしていました。・・・
十年は作れぬ田にされ飢え始め
と鉱毒事件を鶴彬は詠みました。十年は住めぬと首相やはり言い
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東電フクシマ原発 この1週間 |
東電フクシマ原発 この1週間 |
東電フクシマ原発 この1週間 |
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431号/8月11日 |
432号/8月18日 |
433号/8月25日 |
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| ◆ | 壊れている東電福島第一3号機は、「3月21日から23日にかけて2度目の溶融をしていた」という田辺文也氏の解析を朝日新聞が報道(8日)。茨城県、千葉県、東京都などの一部で高い線量が測定されていることとも符合する | ▼ | 東電の原発同時多発事故に関して、「格納容器を守るため実施するベント(排気)のマニュアルがなかった」「1号機の水素爆発をだれも予想していなかった」など、お粗末極まりない東電の実態を、政府の事故調査・検証委員会が聴取していた(『毎日新聞』が17日報道) | ● | 警戒区域(半径20キロ圏内)に指定された9市町村のうち8市町村、50地点の年間推計積算放射線量を文科省が発表。大熊町の1地点で最大508mSv(ミリシーベルト)、浪江町の原発から20km離れた1地点で223mSvなど(19日記者会見) |
| ◆ | もう一つの放射能雲が3月20日を過ぎて到達し、「ミニホットスポット」が点在するのではないかと市民が指摘している千葉県西部の柏市で7日、市議選(定数36)が投開票された。新社会党は現状維持の1議席。民主党は前回の5議席から1議席へ。また山形県高畠町町議選で新社会党は2議席獲得(定数17) | ▼ | なお高線量のホットスポットが次々と指摘されている。100キロ離れた会津若松市内の地裁支部でチェルノブイリの「移住の権利」をはるかに超え「移住の義務(強制移住)区域」に匹敵する18万ベクレル/kgを検出(16日)など。15日に市立婦人会館で講演した小林圭二さん「多くの土地が放棄されざるを得ない」 | ● | 来年1月、原発収束工程表のステップ2が終わっても、「最低10年住めない地域」があること、警戒区域の解除をしないことを、27日に菅首相が「原子力災害復興再生協議会」の初会合で地元に伝え、謝罪する(読売21日、毎日・朝日22日など)。なお、民主党代表選は29日。30日が国会の首班指名 |
| ◆ | 北海道電力の泊3号機が異例の長期調整運転を経て、原子力安全保安院に検査を申請(9日)して営業運転へ。関電大飯1号機も同様だったが、7月16日にトラブルが発生し運転を停止している | ▼ | 北海道電力の泊3号機が、3.11後初めて経産省の検査終了証を得て営業運転(これまで「調整運転」で営業していた)。高橋はるみ知事の「判断」で(17日) | ● | 原発周辺で長期間、警戒区域が解除できない地域について、政府が土地を国有化したり、借り上げることを検討をしていると枝野官房長官が22日の記者会見で |
| ◆ | 6日の広島市平和祈念式につづき、長崎市の田上富久市長が9日、平和祈念式典で平和宣言。「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要」「どんな社会をつくるのか、根底からの議論と選択を」 | ▼ | 児玉龍彦・東大アイソトープ総合センター長が12日記者会見「測定を最新機器でこまめに。測定、除染、放射性物質管理を適切に行うための特別立法を」 | ● |
東電・福島第一原発の廃炉について、「年月も費用も人類にとって未知の領域」と、毎日新聞の「特集ワイド」(東京版は22日、大阪版は24日)燃料取り出し・解体に50年。チェルノブイリと同様の「石棺」方式かと勝田忠広・明治大准教授 チラシでは「特集ワイド」のアドレスを紹介 |
| ▼ | 京都の五山送り火で岩手県陸前高田市の「高田松原」の松の薪を焼く(6月16日保存会)、焼かない(5日、以降京都市)、焼く(11日)、焼かない(12日)と二転三転 | ||||
| ◆ |
'04年の関西電力美浜3号機の事故(5人が死亡、6人が重軽傷)から9日で丸7年を迎え、発電所内で慰霊行事。八木社長は「原子力は大変重要な役割」(中日新聞)。事故前、肉厚10ミリの配管が1.4ミリまで減っていた。しかも運転開始以来28年間、点検しておらず、関連会社が未点検か所を事故前に指摘していた |
▼ | やはり電気は過剰生産だった。関電は、原発をすべて止めている中部電力からの応援でしのぎ、東京電力も危機突破。首都圏のために原発・火発を大量に管内に持つ東北電力が一番ピンチとか | ● |
壊れている福島原発で東電が18日から東芝の処理装置・サリーを本格運転(3社目)。20日の記者会見でセシウムを5万分の一に除去できたと発表、22日には配管の一部で毎時3シーベルトを計測。部品交換の際に、弁が外れたことが原因
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| ◆ | 兵庫県の発表(7月29日現在のデータを8月8日)では、登録している神戸への避難者数は190世帯、482人で、うち福島県からは110世帯、306人 | ▼ | 兵庫県の発表(7月29日現在のデータを8月8日)では、登録している神戸への避難者数は190世帯、482人で、うち福島県からは110世帯、306人(知事の会見なしで、この項、前号のまま) | ● | 兵庫県の発表(8月12日現在のデータを8月22日)では、登録している神戸への避難者数は189世帯、478人で、うち福島県からは109世帯、301人(22日知事定例会見) |
2011年8月23日(火)の井上力
ありがとうございました赤松徳治さん
いえ、それどころか、私は赤松先生から勧められた一冊の本さえ斜め読みして真剣には読まなかったという愚か者でした。新社会党灘総支部は週明けの駅前で、市会や県会の報告をおこない、チラシを配っています。社会党時代から37年つづいています。そのチラシ『おはよう新社会党です』の片隅に、あろうことか私は「川柳のような形をしたもの」を書き、恥知らずにも「井上力のおはよう川柳」と名づけ、これを毎週続けているのです、2002年2月から。赤松先生は「川柳書いても恥かくな」とはおっしゃらず、ある日事務所へ一冊の本を届けてくださいました。反戦の川柳を書き、節を曲げず獄死した鶴彬(つるあきら)の本でした。
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」「胎内の動き知るころ骨がつき」など、鶴彬は日中戦争を厳しく批判しました。赤松先生の尊敬する川柳作家でした。ことばと心、心と文字は一体だよ。命がけで川柳を作り、詠んだ川柳のために国家に殺された鶴彬を読みなさい、ということだったのでしょう。赤松先生が亡くなられ、鶴彬を読み返してみると、次のような川柳が目に止まりました。
凶作つづきの田は鉱毒の泥の海
十年は作れぬ田にされ飢えはじめ
3月の原発事故から半年ちかくたって、週末首相が福島を訪ね、長期に居住が不可能だと、ついに宣言するそうです。ロシア文学をやっているというだけで25年前「日本の原発は、チェルノブイリと違ってメルトダウンしない構造で、絶対安全だ。ソ連は社会主義だから原発事故は必然だった。ロシア人の技術は未熟だ。もともと自由のない国だから『移住の義務』も『移住の権利』も、ソ連のお家芸だ」・・・。投げかけられた批判に、ソ連を、国家を厳しく批判し、惨状に、深刻な被ばくに、心を痛め、旧ソ連の友人たちの苦境にともに涙を流しておられた赤松先生。赤松先生は晩年不自由をしてみえたお身体から離れ、いま自由に福島へ行けます。同じく被ばくの時代を生きることになった福島の大熊町や双葉町、いえ日本中の子どもと若者、そして人々のために、被ばくの地を愛し、被ばくの地の未来を切り開くために、たくさんの詩を詠んでください。私たちが代筆します。
赤松先生ありがとうございました。
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「終戦時、国民学校の少国民だった著者や筆者などの世代が共有する風景でもあろう」と、赤松徳治先生『新・日本現代詩文庫89赤松徳治詩集』の「風景」が、けさの(23日)神戸新聞『詩集』に紹介されました。詩人の鈴木漠さん。
『憲法を生かす会・灘ニュース』第91号は、追悼特集です。
中田作成さんの「人声人語」は「・・・これから夏になれば・・・この詩を必ず思い起こすことだろう。赤松先生は、まるでお盆の霊たちと合流するかのように、忽然と逝ってしまわれた―詩人の気概とロシア語のノートを残して。哀惜の念に堪えず、言葉も無い。」「『あの頃は―』は・・・貴重だった。『歴史の継承』が加速度的に困難になっている。・・・」「・・・人懐っこいお姿が今も目に浮かぶ・・・」
今村稔さんの追悼の辞は4めん、「みんなのコーナー」に。「赤松さんが大阪・岡山、私が九州大分県で生活していたとは思えないほど、同じ空気を呼吸し、甘藷・カボチャ・イモヅルに代表される代用食を分けあって食べたかのような感慨」「またとない護憲の同志、兄弟を失ったという思いはせつなるものです」と。
編集は吉田俊弘さんです。
2011年8月22日(月)の井上力
赤松徳治さん「お別れの会」は27日
詩人で神戸大学、神戸外大などで講師をされた赤松徳治さんが、奥様の初盆13日未明に急性心筋梗塞で亡くなりました。ご子息の竜さん(障がい者通所作業所マブイ六甲の施設長)と近親者で悲しみのうちに葬送されたのは15日でした。
井上力後援会の会長を2007年からしていただき、二度の県議選を指揮していただきました。
お盆明けの17日、ろっこう医療生協に関係者が集い、27日に「お別れの会」を行うこと、実行委員長に佐治孝典先生、司会は今村稔さん、閉会挨拶は中田作成さんにお願いすることなどを決め、19日、以下のようなご案内を発送しました。画像を見やすくするため、拡大しています。
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文中にある「赤い血が流れている限り精神は青春」は、最期の作品となった『新・日本現代詩文庫89赤松徳治詩集』の解説、三宅武さんのお言葉を引用させていただいたものです。
詩にイナゴがよく登場します。「原爆被爆者救護法(ママ)すらいまだに制定されず、串刺しの蝗はいまもわたしの中であがいている」(『輪』41号、1975年、上記詩集に再録)というように。『憲法を生かす会・灘ニュース』には74回にわたって、主に疎開のくらしを書いていただきました。ここにも蝗は登場します。
戦後4年たって生まれた私もイナゴ獲りの記憶があります。明治25年生まれの祖母が、布袋に直径3センチぐらいの竹の筒で入り口をつくり、5歳上の姉と私に持たせてくれました。竹筒に栓があったかどうか記憶がありませんが、入り口からイナゴを入れると袋の底に落ちて、竹筒のところまで這い上がってくることはなかったように思います。イナゴの退治は農薬の登場まで地域の子どもたちの仕事で、イナゴを袋いっぱい獲るのは私にも容易いことでした。母が戦災復興住宅から移り住んだのが津市中河原で、その家から安濃川まで1キロほどは、その頃ずっと水田でした。 黄金色の水田で、そこだけ1か所、円形の黒い土の見える場所が、中学生の頃まではありました。津も1945年7月28日などに空襲を受けました。多くは焼夷弾でしたが、爆弾の あとが直径5メートルか、子どもの私には直径10メートルかという記憶ですが、長い間、そこだけ稲が植えられることもなく、私にはまさにそこは「戦場」でした。爆弾を投下すべき工場も燃え尽き、なくなって、帰還するB29の弾倉を軽くするために、田んぼのど真ん中に、米軍は捨てたのだ、爆弾を捨てるほど力が余っている国と戦争をした東条英機は、間違っていた、と祖母は私に教えました。私の中でも、イナゴと戦争はつながっています。
さて、『憲法を生かす会・灘ニュース』今年7月25日の同第90号が74回目でした。昨年の夏、奥様が他界された頃に『あの頃は』は、昭和20年8月15日を迎えました。6年以上の連載で戦後65年の節目の年でした。連載のスタートは戦後60年の'05年でした。この小さなスペースは、吉田俊弘さんがファックスで原稿を受け取り、電話で筆耕・校正して続いてきました。おそらく、今となっては確かめようがなくなってしまいましたが、1975年に「この国が歩んだ曲折の三十年が、やはりある。書くとすれば、それらを全部、書いておきたい。そうなれば、それは自伝だろう。自伝を書くのなら、ついでにもう少し遡って、父や母から始めたい、と思う。いずれは書くつもりでいる。」(『輪』41号、1975年、上記詩集に再録)と書かれた「いずれ」が『あの頃は』なのでしょうか。軍国少年が見た憲法制定史です。ただし、赤松先生が見た「ゆがんだ戦後史」は、いまだ書かれていません。
『新・日本現代詩文庫89赤松徳治詩集』には「年譜」がつけられました。年譜と『あの頃は』を草稿として、憲法とこの国のゆがんだ戦後をお書きになる予定だったのでしょう。後援会長を依頼するなどと私はその邪魔をしたのみでした。邪魔をした先輩は桝田伸二さんであり、小林るみ子さんであり、また吉田俊弘さんでした。ただし、いずれも副会長で、市会から県会へ選挙の場を移す難しいたたかいの会長をお願いし、しかも縺れた糸玉から糸を引き出す作業を押しつけてしまったのでした。このこととは無関係に10年前に心臓で神戸労災病院に入院されたことがありました。激しい運動を医師から止められていた赤松先生のいのちを縮めた責任は、私にあります。
(つづきは明日)
2011年8月4日(木)の井上力
核兵器と核発電廃棄のための憲法
朝刊は、首相は経産省・資源エネルギー庁・原子力安全保安院のトップを更迭する意向(『朝日』)。そして『日経』が日立と三菱重工の統合。日経のスクープは木曜行動のため家を出る前のテレビで。マイクを持って話しているうちに、通勤の人が持つ『日経』の見出しが異様に大きい、途中で売店で買いました。と言うより私は「けさは日経を買ってくださいね」とセールスをしている風情でした。
浦部法穂先生のコラム、きょうは「いまに始まったことではない『やらせ』」です。
首相が3人を更迭する・・・のは当然ですが、この問題を糾明するための第三者委員会はどうなったのでしょう?いや、保身院の安全保安を画するのが原子力不安院の仕事となってしまっています。マイクで、政・官・業(財)・学・地方行政・電力総連(労)の癒着を解体しようとうったえました。
石橋克彦教授・編の『原発を終わらせる』に、九大副学長の吉岡斉氏が原子力推進の「核の六面体構造」として次の12の機関・団体をあげています。「・」は官です。(同書141ページ)
・原子力委員会
・原子力安全委員会
・経済産業省
・資源エネルギー庁
・原子力安全・保安院
一般電気事業者<9電力会社>
電力業界関係の会社・法人<日本原燃、日本原子力発電、Jパワー、電事連、電力中央研究所>
・文部科学省
原子力産業<三菱重工、日立、東芝>
政治家
地方行政関係者
大学関係者
この六面体のなかには労働組合(連合や電力総連)は登場しません。連合と電力総連を加えると正八面体が完成します。正八面体は「正しい」八面体ではありません。ひとつ一つの面は正三角形でそれ自体が強力です。
一方、日本国憲法は、非武装の世界への4つの力として立法、行政、司法、地方自治を掲げています。いずれも日に日に心許ない状態ではありますが。
日本国憲法が非武装を選んだ最大の理由は「核の時代」を止揚するためです。日本国憲法の成立には核の存在(核兵器と核発電)が前提にあり、その廃棄のために生まれた基本法です。どなたかお坊さんが、こんな主張をしておられたような記憶があります。
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「東電フクシマ原発 この1週間」は、次のとおりです。
| 東電フクシマ原発 この1週間 | |
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430号/8月4日 |
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壊れた福島原発の1号機・2号機共用の排気塔(煙突)の根っこで10シーベルト以上という、事故後最高の放射線量が計測された(1日)。核種分析を東電はせず。1シーベルト以上で急性放射線障害、7シーベルトでほぼ全員が死亡する |
| ▲ | 安倍晋三首相時代の'06年から'07年にかけて中部電力や四国電力のプルサーマル発電について、原子力安全保安院が主催したシンポジウムで、主催者が電力会社に「動員」や「やらせ質問」を「口頭指導」していたことが、発覚(7月29日)。調査は第三者委員会でと寺坂・保安院長。「原子力村」の政・官・業ゆ着「驚かないが、解体すべき」と新社会党 |
| ▲ | 食品への放射能汚染の「拡散」「不安」が広がり、兵庫県知事は「コメについては収穫期をめがけて不安を持たれてはいけませんし、旬のものの一つにもなりますから、検査に取り組めるように」(1日の定例会見) |
| ▲ | 原発損害賠償支援法(機構設立と仮払い)が成立(3日)。賠償を税金で「立て替え」。また一部を関西電力などの電気代に含めて市民に請求する。「次の原発事故」を想定 |
| ▲ | 兵庫県の発表(22日現在のデータを8月1日)では、登録している神戸への避難者数は186世帯、475人で、うち福島県からは109世帯、308人 |
| ▲ | '06年の金沢地裁判決で、北陸電力志賀原発2号機の運転差し止め裁判長だった井戸謙一弁護士ら170人が美浜1、3号機、大飯1、3、4号機、高浜1、4号機の再稼働差し止めの仮処分申請(2日) |
| ▲ | 「放射能のない福島を」初めての原水禁福島大会(31日) |