2002年2月4日に新設  2003年9月19日更新

人間の背骨と腰骨が描くべき曲線をめざして

「腰痛」で悩んでいる人のページです

とはいっても、私は医師ではありませんし、あなたと同じく私も患者の一人です。

全国にたくさん「友の会」があります。

医者もたくさんいますので、ぜひ、いい先生に巡り会い、あるいはすばらしい闘病仲間を見つけようではありませんか。

年齢54歳 闘病歴21年 入院27日間

ホモサピエンスの正常な脊椎・腰椎が描く曲線は・・・?

このページの内容
since2002年2月4日
おたよりは chikara@cg.mbn.or.jp
2001年 井上力の闘病日記 未公開
同じ病の人への手紙 2003年9月19日
1982年 井上力の闘病日記 一部完成

猿が人間となる際、労働が重要な役割をはたした」。なるほどだけど、凡人は思う「猿が人間となったとき痔と腰痛を患った」。

・・・(略)・・・
人間どっかで、隠居しなくちゃ・・・。
人はみな、老いていくし、すべての能力が衰えて、死ぬんですから。
年寄りがはびこり過ぎているから、若い力が育って行かないようにも思いますよ。
第一に、世代交代が出来るように、若い世代を育てる積りも無い。
個人主義が悪いとは言わないけど、引き際の潔さの無い国ですね?

・・・てな事を考えながら、残暑に苦しんでいます。
今年の夏は、古傷の腰痛が再発し、それも辛い夏でした。
・・・(略)・・・

腰痛は、私も過去に2度、ひどく悩まされた時期がありました。21
年前と一昨年です。ずいぶん、本も読みましたから、一晩くらいな
ら語り続けることができます。ヘボサイトに書きかけの闘病記があ
りますが、どの道も奥が深いので、つづきを書けません。

それに最近はカイロプラクティクスやレーザー治療などもありま
す。ただ、信念は「痛みを理解する周囲の人々」が必要だというこ
と、そして「椎間板ヘルニアや腰痛一般で死んだ人は、いない」と
いうことです。自殺や交通事故と比べると腰痛で死ぬのは、象が針
の穴をくぐり抜けるのと同じくらい可能性がない。ただ、医者は
「かならず直ります」と言ってくれません。一番最初に患者に言わ
なければならないことを言わない医者が多い。

猿が人間になるときに、労働が果たした役割は大きかったとエンゲ
ルスは書きました。私は、猿が人間になるとき、腰痛と痔は人間が
避けることのできない持病になったと書こうかと思っています。
(たくさん書かれていますが)

別の病気が原因で腰が痛いのではないことさえ、確かめれば、「一
生、完治することはないかわり、痛みを忘れる時期が必ずやってく
る病気」だということに自信をお持ちになってください。とくに夏
は薄着です。カッコ悪いですが、お風呂の後は腹巻きをして。私も
過去2回はいずれも夏場でした。お大事に

世の中に寝るほど楽はなかりけり、
浮き世のバカが起きて働く

入院3日目の朝、回診の笠井先生にとうとう泣きつきました。

井上「先生。半年以上もエビのような格好でしか寝ていないのに、この姿では眠ることさえできません。何とかしてください」

笠井先生「そうか。それは困ったのう。今夜は井上くんに睡眠薬を盛ってくれ。オイ、メモ用紙とセロテープ」

看護婦さんから受け取った製薬会社のメモ用紙に、なにかをサラサラと書き、笠井先生はそのメモ用紙をセロテープで私の額にペタッと貼りつけて別の病室の回診へと去りました。
額からはぎ取ったメモ用紙には「世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮き世のバカが起きて働く」と書かれていました。

「この姿」というのは、人間が眠るときの上向きになる普通の姿。ただし、腰にコルセットを巻いてそこから紐をつけ、紐の先に錘がぶら下がっているのです。退院してから親しい看護婦さんにきくと「大昔は、そんな療法もあったと聞いたことがあります」

入院中の27日間、ご飯を食べるのも手鏡を持って上向きに寝たまま食べるのでした。トイレにも行かせてもらえません。

何しろ、入院の決定はほんの5分ほどでした。鳴海妥(やすし)先生(ろっこう医療生協理事長)から紹介状を書いてもらっていたとはいえ、あまりにも簡単でした。

笠井先生「パンツ一枚になって。前見て。はい後ろを向いて。・・・入院やなあ」
井上「・・・・」
笠井先生「何を不思議がっとるか。右の脚が左の脚より細うなっとる」

(つづく)