井上力の生い立ちと経歴
井上力のページへ戻る 最終更新17年3月17日
1949年9月10日 三重県津市で生まれる
1951年2月 かつて予科練の教員だった父、肺結核で没
  母、姉、祖母という女ばかりの家族で育つ
  高校まで三重県津市
1967年頃 祖母が「恍惚の人」となる(当時、認知症とか老人性痴呆症という言葉はなかった)
1969年4月 神戸大学経済学部入学
以後ずっと神戸市灘区に住む
  津野公男、前田純一ら、学生運動の先輩・仲間たちに大きな影響を受ける
1973年8月 日本社会党灘総支部の専従職員
1975年1月 結婚する
1979年4月 太田猛県議の選対事務局長
1980年11月 灘医療生活協同組合設立(理事) 95年から監事
1983年4月 太田猛県議の選対事務局長
1984年1月 平田辰男市議が急逝。候補者選びと補欠選挙の準備が始まる
1985年10月 阪神タイガース20年ぶりの優勝でわき返る灘区で市議補欠選挙に立候補、落選
1986年8月 党職員を辞める
1987年4月 市議選当選 37歳
橋本克巳・選対委員長、門永秀次・選対事務局長
1990年2月 岡崎ひろみの擁立運動に参加
1991年4月 市議選当選 41歳
今村稔・選対委員長、門永秀次・選対事務局長
1993年11月 神戸空港の空域問題をめぐって社会党市議団分裂。請願紹介の立場をとった4人が無所属に
1994年2月 護憲社会党結成に参画。議会では「社会党護憲クラブ」
1995年1月 阪神淡路大震災
1995年6月 市議選当選 45歳
今村稔・選対委員長、門永秀次・選対事務局長
1996年3月 新社会党結党。市議会でも「新社会党」
1998年8月 神戸空港計画の是非を問う住民投票条例制定運動(35万人)
1998年11月 住民投票議員団(7人)
1999年4月 市議選落選 49歳
2001年9月 同時多発テロ 「ブッシュの戦争」が始まる
2001年11月 「おはよう新社会党です」に加え「なだ・平和のための木曜行動」を始める。
2003年4月 市議選当選 53歳
金丸正樹・選対委員長、中村伸夫・選対事務局長
2004年8月 母の「主たる介護者」となる
2006年12月 吉田俊弘元県議のあとを受け、県議選への立候補を決意
2007年4月 県議選落選 57歳
2011年3月 東日本大震災・福島原発事故
2011年4月 県議選落選 61歳
  おはよう川柳('02年〜)
木曜コラム('01年〜)
東電フクシマ原発この1週間('11年〜)
などを書きチラシに載せる
2015年2月1日 事務所 神戸市灘区日尾町1-2-9
2015年3月2日 チーム議会改革で政務活動費の改革へ
家族

 

 
井上 みち子(元小学校教員) 1951年生まれ
孫3人などは明石。娘は東京
母・井上たみは2017年2月2日逝去

趣味

数独などのパズル(ニコリ)
役職

 

ろっこう医療生活協同組合 監事
新社会党灘総支部 元・書記長
住所 657-0011神戸市灘区鶴甲2-4-4-407
事務所 657-0823神戸市灘区天城通3−5−19
     新社会党灘総支部と同居
事務所電話・FAX 078-861-6566
e-mail chikara<cg.mbn.or.jp

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