井上力の生い立ちと経歴
井上力のページへ戻る 最終更新07年12月4日
1949年9月10日 三重県津市で生まれる
1951年2月 かつて予科練の教員だった父、肺結核で没
  母、姉、祖母という女ばかりの家族で育つ
  高校まで三重県で暮らし、1年間京都で浪人する
1967年頃 祖母が「恍惚の人」となる(当時、老人性痴呆症という言葉はなかった)
1969年4月 神戸大学経済学部入学 20歳
  バリケード封鎖解除を、学長が学生を集めて決議させる
  津野公男、前田純一ら、学生運動の先輩・仲間たちに大きな影響を受ける
1973年3月 本来なら卒業の日を迎えるが、卒業できず
1973年8月 日本社会党灘総支部の専従職員として働く。総務部長、書記長など
1975年1月 結婚する。灘総支部の旗開きをかねた「披露宴」をしてもらう
1979年4月 太田猛県議の選対事務局長 30歳
1980年11月 灘医療生活協同組合設立(理事)。95年から監事
1983年4月 太田猛県議の選対事務局長
1984年1月 平田辰男市議が急逝。候補者選びと補欠選挙の準備が始まる
1985年10月 阪神タイガース20年ぶりの優勝でわき返る灘区で市議補欠選挙に立候補、落選
1986年8月 党職員を辞め、無職。「候補者」に専念
1987年4月 市議選当選 37歳 橋本克巳・選対委員長、門永秀次・選対事務局長
1990年2月 岡崎ひろみの擁立運動に参加
1991年4月 市議選当選 41歳 今村稔・選対委員長、門永秀次・選対事務局長
  社会党市議団  「岡崎派」7人。土肥隆一派7人。3週間ながら分裂
1993年11月 神戸空港の空域問題をめぐって社会党市議団分裂。請願紹介の立場をとった4人が無所属に
1994年2月 護憲社会党結成に参画。議会では「社会党護憲クラブ」
1995年1月 阪神淡路大震災
1995年6月 市議選当選 45歳 今村稔・選対委員長、門永秀次・選対事務局長
1996年3月 新社会党結党。市議会でも「新社会党」
1996年10月 上野恵司を擁立して総選挙。選対事務局次長
1997年10月 神戸市長選挙 45%得票し惜敗した大西和雄をおし立て、久しぶりの「社共」共闘実現
1998年8月 神戸空港計画の是非を問う住民投票条例制定運動(35万人)
1998年11月 住民投票議員団(7人)。住民投票条例案は否決されたが、「議員冥利に尽きる」経験をする
1999年4月 市議選落選。4度目の浪人生活
1999年7〜8月 神戸空港をめぐり、「市民投票」(31万人)
     9月 生きながらえて50年(父の1.5倍以上)の偉業達成 50歳
2003年4月 市議選当選 53歳 金丸正樹・選対委員長、中村伸夫・選対事務局長
2004年8月 母の「主たる介護者」となる
2006年12月 吉田俊弘元県議のあとを受け、県議選への立候補を決意
『いまどきの県政』をアップ
2007年4月 県議選落選
家族

 

 
井上 みち子(元小学校教員) 1951年生まれ
井上 たみ (年金生活) 1919年生まれ
1976年生まれの息子は03年5月に結婚し独立
1981年生まれの娘は07年11月に未婚で独立

趣味

カサンクロス、数独などのパズル(ニコリはおもしろい)

特技

新聞編集
役職

 

ろっこう医療生活協同組合 監事
新社会党灘総支部 書記次長
事務所 神戸市灘区天城通3−5−19
     新社会党灘総支部と同居
事務所電話・FAX 078-861-6566
e-mail chikara@cg.mbn.or.jp

井上力のページへ戻る