
井上力の生い立ちと経歴
1949年9月10日 |
三重県津市で生まれる |
1951年2月 |
かつて予科練の教員だった父、肺結核で没 |
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母、姉、祖母という女ばかりの家族で育つ |
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高校まで三重県津市 |
1967年頃 |
祖母が「恍惚の人」となる(当時、認知症とか老人性痴呆症という言葉はなかった) |
1969年4月 |
神戸大学経済学部入学
以後ずっと神戸市灘区に住む |
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津野公男、前田純一ら、学生運動の先輩・仲間たちに大きな影響を受ける |
1973年8月 |
日本社会党灘総支部の専従職員 |
1975年1月 |
結婚する |
1979年4月 |
太田猛県議の選対事務局長 |
1980年11月 |
灘医療生活協同組合設立(理事) 95年から監事 |
1983年4月 |
太田猛県議の選対事務局長 |
1984年1月 |
平田辰男市議が急逝。候補者選びと補欠選挙の準備が始まる |
1985年10月 |
阪神タイガース20年ぶりの優勝でわき返る灘区で市議補欠選挙に立候補、落選 |
1986年8月 |
党職員を辞める |
1987年4月 |
市議選当選 37歳 橋本克巳・選対委員長、門永秀次・選対事務局長 |
1990年2月 |
岡崎ひろみの擁立運動に参加 |
1991年4月 |
市議選当選 41歳 今村稔・選対委員長、門永秀次・選対事務局長 |
1993年11月 |
神戸空港の空域問題をめぐって社会党市議団分裂。請願紹介の立場をとった4人が無所属に |
1994年2月 |
護憲社会党結成に参画。議会では「社会党護憲クラブ」 |
1995年1月 |
阪神淡路大震災 |
1995年6月 |
市議選当選 45歳 今村稔・選対委員長、門永秀次・選対事務局長 |
1996年3月 |
新社会党結党。市議会でも「新社会党」 |
1998年8月 |
神戸空港計画の是非を問う住民投票条例制定運動(35万人) |
1998年11月 |
住民投票議員団(7人) |
1999年4月 |
市議選落選 49歳 |
2001年9月 |
同時多発テロ 「ブッシュの戦争」が始まる |
2001年11月 |
「おはよう新社会党です」に加え「なだ・平和のための木曜行動」を始める。 |
2003年4月 |
市議選当選 53歳 金丸正樹・選対委員長、中村伸夫・選対事務局長 |
2004年8月 |
母の「主たる介護者」となる |
2006年12月 |
吉田俊弘元県議のあとを受け、県議選への立候補を決意 |
2007年4月 |
県議選落選 57歳 |
2011年3月 |
東日本大震災・福島原発事故 |
2011年4月 |
県議選落選 61歳 |
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おはよう川柳('02年〜)
木曜コラム('01年〜) 東電フクシマ原発この1週間('11年〜) などを書きチラシに載せる |
2015年2月1日 |
事務所 神戸市灘区日尾町1-2-9 |
2015年3月2日 |
チーム議会改革で政務活動費の改革へ |
家族
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井上
みち子(元小学校教員) 1951年生まれ |
孫3人などは明石。娘は東京
母・井上たみは2017年2月2日逝去 |
趣味
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数独などのパズル(ニコリ) |
役職
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ろっこう医療生活協同組合 監事 |
新社会党灘総支部 元・書記長 |
住所 |
657-0011神戸市灘区鶴甲2-4-4-407 |
事務所 |
657-0823神戸市灘区天城通3−5−19
新社会党灘総支部と同居 |
事務所電話・FAX |
078-861-6566 |
e-mail |
chikara<cg.mbn.or.jp |