闘病観察

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「闘病観察」1〜5は、この表の下にあります
闘病観察・6 2004年7月14日(水)
闘病観察・7 2004年8月11日(水)
闘病観察・8 2004年9月25日(土)
闘病観察・9 2004年11月25日(木)
闘病観察・10 2004年12月24日(金)
闘病観察・11 2005年2月5日(土)
闘病観察・12 2005年3月23日(水)
闘病観察・13 2006年6月2日(金)
闘病観察・14 2006年11月5日(日)
闘病観察・15 2006年11月23日(木)
闘病観察・16 2007年12月28日(木)
闘病観察・17 2007年9月9日(日)
闘病観察・18 2007年9月10日(月)
闘病観察・19 2007年9月20日(木)
闘病観察・20 2007年10月18日(木)
闘病観察・21 2008年2月18日(月)
闘病観察・22 2010年1月28日(木)
闘病観察・23 2010年4月13日(火)
闘病観察・24 2010年5月19日(水)
闘病観察・25 2010年5月30日(日)

2004年4月7日(水)

実は3月26日に母が脳梗塞で倒れ、85歳にして初めての入院生活を始めました。幸い、知覚などは難を逃れ右手に重い障害と、言語および右脚に軽い障害が出ました。倒れて3時間後に点滴を始めていただき、4日めからは日中、車いすの上で新聞などを読んでいます。

少しも筆の進まない「椎間板ヘルニアのページ」にかわって、看病観察日記をつくろうか、などと馬鹿なことを・・・。母の第一声は「介護ロボットが間に合わなかった」。私もイニシャルはITなのですが、母も同じくイニシャルはITなのです。

もちろん「介護ロボット」を使うのは介護労働者であって、家族やヘルパーが要らなくなるわけではありません。資本組成の高度化が利潤率の・・・・・・ムニャむにゃ不勉強・・・・・・強がりで炊飯器や洗濯機があるから家族は要らないという人もいないではありませんが。

脳梗塞の原因・法則をまなび、たたかう200万人の皆さん。その予備軍の皆さん。可能性を広げ、夢と科学とITを武器にがんばってください。病院スタッフの皆さん、お世話になります。


2004年4月10日(土)

なおご心配をおかけしている母は、倒れてきのうで2週間、リハビリが本格化しています。7日、いとこ2人と私が見学した日から平行棒の間を20歩も歩けるようになりました。

今どきの病院は、介護ロボットこそありませんが、「お見舞いメール」というサービス(まさに文字どおりサービス)があります。えらい時代になったものです。そう悪い意味ではなく。

右手に相当の障害が残りそうですので、キーボードを左手だけで叩く練習をいずれしなければなりません。SHIFTキーを押しながら%とか( )を書くのが難しそうです。それにマウスの操作も、やってみると結構難しいものです。でも一応キーボードはクリアできるとして、神戸空港ターミナルビルに完備するという「左ききでも使えるトイレ」が要りそうです。


2004年4月14日(水)

神戸市会「議員厚生会」が全員対象の「研修会」を開きました。きょうは「脳血管疾患の予防−−脳卒中と痴呆」と題して神大名誉教授の岡田安弘先生でした。

母の脳梗塞は3週間。何ともタイムリーな勉強になりました。われわれが宿っている「脳」という1.4sほどの物質の不思議。細胞膜が生命と環境を隔てる鍵を握っている・・・と。少し理解不足でしょうか。


2004年4月21日(水)

「神戸市住宅改修助成事業」は、介護保険になって全国化したとき、危うく残った制度です。新年度から所得制限が強化されました。きわめて個人的な理由から(介護観察日記)「事業(制度)」は申請してみないと全体像がわからないということを、改めて思い知りました。

制度変更のポイントを神戸市は次のように説明しています。

1.利用者の負担能力に応じた受益と負担の適正化を図る
2.他の類似制度(介護保険)との均衡を図る
3.県の行財政構造改革推進方策に合わせた制度の見直し

早い話、所得制限の強化なのですが、介護リフォームが必要となることがなぜ「受益」なのでしょう。なぜ、介護保険の負担率や県の行革に合わせなければならないのでしょう。♪なんでだろ〜♭です。「これまでは適正でなかった」「これまでは均衡がとれていなかった」「これまでは県の行革と歩調を合わせていなかった」のでしょうね。

母の場合、実は介護保険対象のリフォームを検討中に脳梗塞で倒れました。3月26日に倒れ、それ以後、介護保険対象外のリフォームが必要になりました。4月1日が新年度。介護保険対象以外は全額自費でというランクにならないようにするためには、もう少し早く倒れればよかった?それなら「受益」者となれた、のです。う〜ん。熱が出そうです。

さて「母の場合」ゼニカネ(切実ですが)の話は置くとして、制度をつくった時期の意気込みを活かすことのできない変遷をたどってきています。当初から措置制度ではなかったのに、「必要、最小限の助成」ではありました。当時の福祉事務所で「困っている人はたくさんいる」と苦情を逆に担当者から聞かされたこともたびたびありました。

昨年の外郭団体に関する特別委員会などで質問したことや、今回の「申請」で明らかになったことは以下のとおりです。お問い合わせ歓迎です。

1.おもに経済的理由で在宅希望者すべてを救えない。(私の課題として)先進例の江戸川区などの現状調査が必要

2.症状が変化する高齢者にとって要件緩和が必要

3.要介護認定の不合理(症状が悪くなると「受益」者となれるが、軽い症状でいたいという願いは無視される)

4.申請から在宅ケア研究所の調査まで3か月もかかる(新年度から改善の見込みではあるが・・・)

5.脳血管障害で倒れた場合、急性期病院(3週間)、リハビリ病院(3か月)で過ごし、症状固定した時期に要介護認定を受け、それから申請、(一定時期を置いて)調査。退院にはとうてい間に合わない

6.申請に必要な書類(所得証明など)は、一人暮らしでは集められない。ケアマネージャーや福祉コーディネーターの権限、行政の職権がケースによって発揮されるべきではないか。委任状の不思議

7.すまいるネットでの集合住宅改善助成との組み合わせや、制度の周知が不十分

8.集合住宅(分譲でも)では1階などへの住み替えを可能にするコミュニティづくりが必要。さらにデイルーム(昼間に高齢者が過ごす共同スペース)やグループハウスへの改築助成が必要


2004年5月26日(水)
闘病観察・5

母が脳梗塞で倒れてきょうで2か月になります。栗本慎一郎さんが闘病記で書いていますが、ガンの闘病記と比べ、脳梗塞の闘病記は理由があって少ないそうです。それでも出版大国日本のこと、もう少し探して読むのが任務だと思います。

介護問題が語られ、運動し、また自身も勉強したのは、80年代後半から90年代にかけてのことでした。私自身の周囲の話であるとともに、日本で社会問題として「登場」したのはその頃だと思います。

「老人性痴呆症」というコトバの誕生は、この頃であり、明治25年生まれの祖母が痴呆症になったあと脳卒中を突然患い、寝たきりになった(母が倒れたあと、母がそう回顧した)のは60年代の終わりで、間違いなくその頃このコトバはありませんでした。有吉佐和子の『恍惚の人』を読んで「ああ、うちのおばあちゃんと一緒や」なんて言ったものです。

学会や病院でどう呼ばれていたかは知りませんが、脳卒中も「中気」とか「中風」と呼ばれていました。「脳の病気」というより、やさしい農耕社会が生み出したコトバらしく、やさしい感じを受けます。「風にアたる」などは特に。

漬け物が好きだったからとか、酒の飲み過ぎだろうとか、自己責任と切り捨てる冷たさはこれらのコトバには含まれていません。原因がはっきりしなかったこともあるでしょうが。

母はリハビリ専門病院で忙しい毎日を送っているようですが、どんなによくしてもらっても、長くいたいと思う場所ではありません。「根気」という脳の働きに今回、障害がでなかったことも幸いでした。「かすかに親指が動く」・・・とても嬉しそうでした。


以上、ローカル・フォルダに置いていたものを再アップしました。